藤原の権力基盤の構築

承和の変で藤原良房が権力を握り、
三百年に渡る藤原氏の天下の
基礎が成立したとされています。

藤原氏の政敵の伴氏と橘氏は
ここで大きな打撃を受けており、
藤原氏の中でも良房と対立した
藤原愛発・藤原吉野が失脚し、
一人勝ちの様相を呈しています。

良房は以前から自らの娘の
明子(あきらけいこ)を
道康親王に嫁がせており、
親王が文徳天皇に即位すると
惟仁(これひと)親王が
生まれたとされます。

良房は惟仁親王を皇太子とし、
親王が清和天皇となるので、
ここから菅原道真公が
登場する流れが出る事は
既に記事に書いていますね。

となると道真公が登場して、
鬼道を復興するまでの流れで
絶対的に外せない時期となり、
ここから説明していかないと
理論的に不備が出てきます。

となると天神信仰=鬼道の
私の提唱した説も根拠薄弱で、
色々陰口を叩かれ否定される
中途半端な物として終わる
可能性が高くなってきます。

折角書いたのであれば、
この水準で終わらせるのは
勿体無い感じがするので、
もう少し明確な根拠を
提示する必要がありますね。

私の研究では藤原氏一強の
歴史観についての見直しが
必要な要素が存在するので、
これも認知されれば大規模な
日本史の見直し繋がります。

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