仏教弾圧にまつわる派閥抗争は、
武宗・李徳裕・学者官僚の勢力と、
仇士良に指図された宦官達により
行われた物とされています。
李徳裕は万民良相と呼ばれる
万人に良い宰相に挙げられた
六人の宰相の一人に数えられ、
仏教に激しい憎悪を抱く事は
無さそうな人物ではあります。
彼が凶悪な宗教弾圧を行う
皇帝に加担していた話には、
若干の無理がありそうな
矛盾した評価がなされます。
彼は仇士良との争いだけでなく、
大規模な党争を40年間も継続した
人物としても知られています。
この党争と仇士良との争いの
関係性は明瞭ではありませんが、
掘り下げてみる価値はありますね。
双方とも権力闘争ではありますが、
会昌の廃仏が行われた背景に、
どの様な勢力地図が存在したかを
明確にする事は必要でしょう。