会昌の廃仏では悪者ですが、
李徳裕は沢・潞での反乱を
平げた事でも知られます。
この内戦に対処するにあたり、
李徳裕は朝廷内部の宦者と
節度使の監軍使の宦者とを
厳に戒め軍事に関わらせない
対策を行った事によって、
二年で成功したとされます。
宦官を廃除し問題を起こしたなら
愚劣な政治家とされそうですが、
廃除して成果が上がったなら、
いかに獅子身中の虫であったか
察する事が出来そうですね。
宦官から非常に悪く言われる
李徳裕が非常に有能な事は、
様々な記述から見て取れます。
彼が会昌の廃仏を主導した
人物であったとすれば、
狂った信念で蛮行をなした
会昌の廃仏の記述について、
見直さざるを得ないでしょう。
彼が宦官から嫌われた事は
間違い無い話ではありますが、
宦官のみでなく官僚からも、
嫌われていたとする話が
残されている事は有名です。