40年の党争

会昌の廃仏を惹起した李徳裕は、
「牛李の党争」として知られる
唐代で最も激烈な朋党の禍を
惹き起こした張本人とされます。

この党争は808年~849年にかけて
激しい権力闘争が繰り広げられ、
唐滅亡の要因となったと評される
40年に渡る大規模な物とされ、
様々な議論がなされています。

ここで問題になるのが党争が
会昌の廃仏を跨いでいる事で、
唐の政界が真っ二つに割れる
深刻な党争が継続する中、
大規模な廃仏が行われたなら、
多大な関係を有しています。

軍事力まで補助した宦官が
皇帝を勝手にすげ替える
横暴を行っていた時期に、
官僚が宦官を取り込み
争い合ったとされます。

武則天の頃から力を持った
宦官勢力が一枚岩でなく、
廃仏を推進する側にまで
加担していたとすれば、
この周辺の見直しが
必要となって来ますね。

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