文宗と甘露の変

唐の第17代皇帝文宗(ぶんそう)は
在位が826年~840年となっており、
840年の会昌の廃仏に至る流れを
知るために必要な人物となります。

826年に異母兄であった敬宗が
宦官の劉克明に暗殺されたため、
宦官の王守澄により擁立され
皇帝に即位したと伝えられます。

文宗は宦官を排除しようとして
甘露の変を起こしたものの、
失敗して宦官の力が栄えて、
840年に崩御したとされます。

文宗は皇太子に敬宗の実子の
李成美を選んでいたものの、
宦官の魚弘志や仇士良らが
弟の李炎を皇太弟に擁立し、
李成美を殺して即位させます。

李炎が武宗皇帝となった後に
会昌の廃仏を行っていますが、
李成美を殺した仇士良は、
円仁の長安での仏教修行を
保護した人物とされています。

不法滞在をして五台山に行き、
長安に来た円仁の違法行為が
咎められなかった理由に、
一定の説明が着きますね。

この流れを見ると国家権力を
私物化した人物の保護を受け
寺に入れた流れになりますが、
仇士良は李徳裕と対立しており、
円仁に黒い影が見えますね。

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