仇士良は甘露の変を切り抜けると、
武宗を擁立した後に引き際を感じ、
職を辞したとされています。
職を辞した後で仇士良が
宦官達を集めると、
天子は遊ばせ続けて
悦楽を絶やさないようにし、
暇にさせないように
語ったとされています。
暇になれば読書をし、
儒者に親しめば諫言を聞き、
我々宦官の利益は薄くなり、
権力が軽くなると言う、
宦官の思考が分かります。
仇士良は二王、一妃、
四宰相を殺し、
二十数年間にわたって
権力をむさぼり続けた。
と史書に記されていますが、
この周辺には疑問があります。
彼が長安における円仁の
仏教修行を助けた事は、
良く知られた話ですが、
長安入りは840年とされ、
武宗の即位した年です。