会昌の廃仏と神策軍

円仁の長安での仏教修行を
助けたとされる仇士良は、
神策軍護軍中尉であった事が
伝えられているのですが、
神策軍とは何なのでしょう。

安史の乱を平定した玄宗皇帝に
高力士と呼ばれる宦官が仕えた事が、
唐の宦官の跋扈に繋がったとされます。

それまで宦官の立場が低かった物の、
玄宗が高力士を厚遇し慣例を反古にし、
宦官の専横に繋がったと伝えられます。

神策軍は辺境警備の軍隊を預かっており、
安史の乱で宦官の魚朝恩は神策軍を用いて
長安の混乱を収拾した事により、
魚朝恩と神策軍の立場が優遇されます。

魚朝恩は横柄に過ぎて殺されたものの、
徳宗は窮地に陥った時に神策軍に救われ、
宦官をポストにつけた事で権力を強めます。

円仁の唐での仏教修行は神士軍の
権力があって成立した事なのか、
彼は不法滞在で五台山に行って
修行してきた後に長安に来て、
国の許可をどう取ったのかに
不明瞭な部分が存在しています。

仇士良が死んだ後に会昌の廃仏が
実行されたと伝えられていますが、
神策軍がこれを黙認していたかは
疑問の余地の残る所となります。

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