ウイグルからの宗教流入

『通鑑』は元和元年(806)に
回紇が初めて摩尼教を携えて
中国に来て寺を建て奉じたと
巻二三七に記しています。

胡三省はこれに注を加えて、
摩尼教が初めて入ったのを
806年とするのは誤であり、
大暦三年(768)時点で
回紇は荆州・揚州・南昌(洪)・
紹興地方に寺を建てる事を
請うた事を伝えています。

この寺は大雲光明寺と呼ばれ、
武則天が保護した寺名なので、
ソグド人のみでなくウイグルも
この段階から唐で好き勝手を
行っていた事が分かりますね。

マニ教寺院の厄介な所は、
ただの宗教寺院ではなく、
他にも様々な活動を行う
拠点とされていた事です。

誰にも迷惑をかけずに
個人で道を求めるだけで
弾圧対象とされたのなら
国を非難すべきですが、
悪行の度合いの程度により
廃仏の評価は変わります。

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