ウイグルマネー

唐に入った外国の商人達は、
奢侈品を取り扱うだけでなく、
両替・預金・利貸・手形・小切手等、
現在の銀行同様の多角経営を行ない、
金融界に絶大な勢力を築いました。

これら外国金融資本の代表が
波斯銭と回鶻銭とされますが、
回鶻銭をウイグルマネーとして
認識する事の問題が指摘されます。

当時のウイグルはモンゴリアを
本拠地域とする遊牧民であり、
ウイグル商人の内実はソグド人や
漢人で多く占められていたそうです。

漢籍史料に見られる朝貢使節には、
漢人の姓を持つ者だけでなく、
安・康・曹・石などのソグド人の
姓が多く見受けられています。

安史の乱で軍事的にソグド人勢力を
唐から駆逐した玄宗皇帝ですが、
ウイグルを通じてソグドマネーが
唐を侵食していたとすれば、
同じくソグドに通じた宦官による
金権腐敗に悩まされたのでしょう。

これを駆逐するため動いたのが
武宗皇帝であったとすれば、
仏教弾圧で片付ける事は出来ず、
大規模な戦いが想定されます。

軍事力を蓄えたソグド人が、
手をこまねいて寺院の排除に
対応しなかったはずはなく、
神策軍の仇士良の抵抗が
存在した事が伝えられます。

しかし大規模な軍事的衝突が
行われた記述は存在せず、
一方的な弾圧に終わった事が
円仁の日記に見えていますが、
これを覆えしかねない矛盾が
アジア史に存在しています。

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