会昌の廃仏についての
円仁の日記への記録は、
情報源が問題となります。
皇帝の悪逆無道な話は
都から遠く離れた場所で
聞いた物とされており、
直接皇帝を見て書かれた
内容ではありません。
彼はマニ教と関係を持って
ここから情報を得ていますが、
彼の学んだ仏教の中には、
マニ教的なグノーシスが
含まれていたのでしょうか。
かのアレクサンダー大王は、
ゾロアスター教を除いた
全ての宗教を保護したと
伝えられてはいますが、
様々な矛盾が存在します。
彼の伝承の中にユダヤ人が
捏造したと思しき痕跡が
複数存在する事については、
岩戸開きの本に書きましたが、
唐で流行したネストリウス派も
ユダヤ教色が濃いとされます。