円仁は845年に仏教弾圧が
本格的に激化した事を、
日記に書き残しています。
これにより一神教のみならず、
仏教にも多大な損害が出たと
伝えられている所ではあります。
しかし武宗や張宝高の死が、
廃仏の終焉と絡められた事に
関連付けて考えてみると、
一神教の排除運動に対する
軍事的な反抗が起こった事が
想定される事となって来ます。
しかし仇士良の死の時期や
周辺諸国の歴史で語られる
内容に目を通してみると、
中国内部で廃仏が完結した
記述となっています。
これが唐のみに止まらず、
アジア全体を巻き込んだ
大規模な紛争に発展し、
唐のみでなく広域に渡る
歴史の捏造が行われた
痕跡はあるのでしょうか。
これを究明するために、
視野をアジア全体にまで
広げる事が要求されます。