奥三河の白山の祭や花祭に
一緒に参加した人がいて、
飽海遺跡の資料の英訳を
お願いしてみたのですが、
叩き台が出来上がりました。
海外では文化的な背景の
違いなどの問題があって、
日本国内で通用する話も
ピンと来ない事があり、
意見を頂きたい所です。
改善点が明確になれば、
早急に対策を入れた後に
情報拡散の開始ですが、
皆様のお力添えによって
成果に差が出てきます。
Twitterであれmailであれ、
拡散可能であれば色々と
試しても良い話であり、
この国の価値が世界的に
認識される始めの一歩に
成り得る話でもあります。
花祭が卑弥呼の鬼道である
可能性が検討されたなら、
卑弥呼の頃からの開始でも、
1800年近く継承されて来た
最古の部類の遺産となります。
世界的にみても偉業であり、
太古の精神性の体感が出来る
生きた遺産でもある事から、
国際的にアカデミズムで
研究する価値があります。
西洋合理主義で進んで来て
崖っぷちに立っている現在、
必要な物が何なのかまでは
提示されていない状況です。
祭は言葉で教えないものの、
人として本当に大事な事を
感じ取る事が可能であり、
自然界との調和に対する
一つの回答を提示します。
頭だけで自然との調和を
考えていても無意味であり、
個人でなく共同体単位で
調和する事が出来ないと、
環境破壊は進むでしょう。
人間関係の希薄なった現代、
共同体で子供を育てる事が
無くなって久しいですが、
世代を越え協力しあう機会が
どれだけあるのでしょうか。
一生かけて舞を磨く事は、
自らを磨き続ける事と、
同義でもありますね。
地域の人間関係の健全化は
人生の質を上げますが、
自然との関係の健全化も
幸福度を上げていきます。
鬼神と人とで楽しむ姿は、
世界に見られる宗教問題の
解決の糸口にも成り得ます。
今後のこの国が世界の中で
どの立ち位置を得るかにも
密接に関わる問題であり、
この国から世界に向けて
価値を発信していくための
根幹に関わって来る話です。
未来は誰かに依存せず、
自分達の手で切り開く
必要のある物でしょう。
伊勢外宮や奈良の三輪山に
関係する御神事でもあり、
国家祭祀の根幹を棄てれば
未来が無いに等しい話です。
これを世界的に広める事に
どれだけの価値があるかを
想像してはみましたが、
やらなければゼロですね。
自らの人生の価値は自らで
創り上げていく物ですが、
後に自らを誇れるだけの
話では無いでしょうか。