伊勢踊りは不定期に流行しましたが、
大阪の陣や家康の死亡の時期とも被り、
不吉なものとして取り扱われていき、
大坂の豊臣家の片桐且元の家老は
伊勢大神宮の飛せ給うと申し立て、
踊りはやし、風流を尽す。
禰宜御祓を先に立て奥州まで躍り送る
かようにせざる国々は飢饉・疫病有と申し立る
と村から村へと送られるのを拒否すれば
飢饉や疫病が有ると記しているので、
幕府が伊勢踊りを良く思わなかったとのも
不思議はない部分がありそうです。
ただ疫病などで脅して広めたのではなく
これらを祓う効果があるとされていたようで、
貞享三年(1686)に若狭(福井県)小浜で
流行病のため多くの死者が出た時、
八幡宮で伊勢踊りがなされたとされます。
伊勢踊りに災難を払う除災の力があると
民衆に信じられていたとすれば、
志多羅神の源流にある鬼道の舞に
御神事としての神聖な呪術的な力が
込められていたとする事に連なりそうです。
こう見ると時代の節目の熱狂的な祭は
時代変革のための壮大な呪術であり、
鬼道に連なる御神事の可能性があります。
花祭は鬼が登場して踊りますが、
鬼神の頭である榊鬼が外宮の神なら、
中世社会の幕開きを告げるものと言われる
志多羅神事件に連なる民衆の踊りは、
邪馬台国のDNAがベースにありそうです。
この源流を継承してきた花祭の舞も
継承が危険な状況にあるので、
幼稚園や学校、様々な団体などで、
これを学んで花祭の舞手の不足に
対応していくと良さそうですね。
これには動く側と認知度向上の
両輪が必要でしょうから、
とりあえずはやり易い情報拡散から
協力して頂けると助かります。
時代の変革に力を発揮した祭の源流が広まれば、
この国にも新たな時代が到来しそうです。