伊勢神道の神と仏

伊勢神道は本地垂迹思想から脱して
神を仏の上に置く流れを作ったとされ、
『宝基本記』の託宣が引用されます。

惣而神代仁者。人心聖而常也。直而正也。
地神之末。天下四国人夫等。其心神黒焉。分有無之異名。
心走使。無有安時。心蔵傷。而神散去。神散則身喪。
人受天地之霊気。不貴霊気之所化。種神明之光胤。
不信神明之禁令。故沈生死長夜闇。
吟根国底国。因じ奉代皇天。西天真人以苦心誨喩。
教令修善。随器授法以来。太神帰本居。止託宣給倍利。
若応節自在告示。則開大明戸。無形顕音。
或小童女昇立茅葉上。須在験言矣。

これを神は仏の活動の奥に厳存し
仏の背後の神の権威を記したものとし、
神と仏を峻別したものと解釈されました。

西田長男氏は、この託宣について、
「神本仏迹説は本地垂迹説の全き否定ではない。
それは本下迹高なる本地垂迹説の一の分別であり、
神と仏とは末だ同体であって、
神仏分離にまで進んではゐない。」
と反本地垂迹という概念を誤謬としています。

神道五部書は日本の神を仏教の天部の神に比定し、
『御鎮座伝記』はイザナギ・イザナミを伊舎那天・伊舎那天妃に、
『御鎮座本紀』は御饌都神を弁才天に対応させていますが、
双方とも「古語曰」、「古言曰」と述べているので、
オリジナルの言説ではなく昔からの言い伝えとしています。

『宝基本記』には神道と仏教の区別について

神道則出二混沌之堺。帰混沌之始。
三宝則破有無之見。払実相之地。
神則罰穢悪。導正源。仏又立教令。破有想。

と述べていますが、神亀二年の詔には、

掃災招福。必憑幽冥、敬神尊仏。清净為先。

と神と仏を区別するものの対立させてはおらず
五部書には天部の神々が神道の守護神として記されます。

田長男氏は『宝甚本記』の言葉を
『園城寺伝記』の記事に基づいて
神本仏迹を意味するものと解しています。

弁阿問曰。神冥託宣可信耶。
答。仰而可信也。天照太神御託宣曰。
 東土有我身。示不生於此。
 西方有真人。譲託宣於彼。
東土有我身者。天照大神也。不生者阿字本不生也。
西方真人者。釈迦牟尼也。於霊山説法華矣。経則天照之託宣也。
経曰。従仏口生。従法化生文。
可思之。神化成仏。仏本地神也。分明者哉。

辻善之助氏は『園城寺伝記』のこの記述を
『沙石集』の本地垂迹説に加へて
神本仏迹説を説いたものとし、
この説は園城寺伝記の編纂当時以降のもので、
園城寺伝記の文中に建武・康永等の記事があるので、
室町初期に唱えられたのではないかと言います。

地神の未の世になって以来人間の心が穢れて
神の禁令を信じなくなったので、
仏法により人間を導くに至ったとしており、
神と仏で上下を争うものではないようです。

伊勢神道は『大元神一秘書』や『類聚神紙本源』に
真言密教や老荘思想、儒教や易経の引用が見受けられ、
神と仏のような二元対立の思想でない事を
伺い知る事が出来るでしょう。

仏を神の上に置く本地垂迹説は大乗仏教の主張であり、
徐福の持ち込んだアショーカ王の説一切有部は
仏教のみでなく様々な宗教が尊重し高め会うもので、
東の神と西の仏を同等に対比させた伊勢神道は、
この系統の流れにあると見る事も可能でしょう。

神道五部書に様々な宗教の用語が用いられるのも、
徐福王朝でアレクサンドリア大図書館のように
様々な宗教が総合的に研究された基盤の上で、
その復興を目的として編纂された故と見る事には、
一定度以上の妥当性があるのではないでしょうか。

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