稲荷と農耕儀礼

後醍醐天皇が性的な呪術をなしたと
様々なところで伝承されましたが、
真言立川流の淫靡で外道的な雰囲気の
狂人しか行いそうもない呪術の神が、
ダキニの本来の姿なのでしょうか。

古代の農耕には儀礼的な意味があり、
大地に種を植えるのを性交に見立て、
性的興奮を催す儀礼を行う事で、
豊穣を願う呪術は一般的なものです。

何でもエロい事に結びつけるのは、
風に吹かれたカーテンを触ったり、
電車で波高島駅の名前を聞いて
テンションが上がっていた私にも、
共感しやすい思考パターンですね。

浴衣を着てうなじが見える方が
下品なものよりエロスを感じますが、
雌雄で抱き合う聖天の修法も、
後醍醐天皇が信仰した愛染明王も、
性愛に関わる神と言われてはいても、
品性の高いものであったのでしょう。

本来の稲荷が農耕に関わるのであれば、
ダキニが性愛に絡められるのも、
夫婦が和合して幸福な家庭を築く様に、
天地が和合して豊穣をもたらす物であり、
国家の雛型である家庭が円満であれば、
天下泰平に繋がる思想に通じていそうです。

ダキニ天と愛染明王(タキ王)が
一対の夫婦神であったとするなら、
この性愛の呪術はコミケ的な物でなく、
責任の伴う夫婦関係に関わる物ですね。

天下より前に国家、国家より前に家、
家より前に自身を修める順序を踏む事が、
南朝で重視された朱子学の入門書である
『大学』に記された基本とされており、
後醍醐天皇の呪術に対する思想も、
これをベースとしていたのでしょう。

南朝においては世界や国家を語りつつ
自身や家の問題を棚上げしていたり、
自分や周りさえ良いのであれば、
世界がどうなろうと関係ない人は、
外道とされた世相だったのでしょう。

日本経済が優秀であった頃には
大家族主義を唱える経営者も多く、
江戸時代からの儒教教育の影響が、
日本経済を押し上げてきた原動力の
一つであった事は間違い無さそうです。

江戸の研究をする人は多いですが、
もっと深い歴史の深層まで視野に入れ、
根幹から見直す事が行われる様になれば、
更なる価値が提供されると考えています。

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