伊勢神道と三狐神

伊勢外宮の度会氏が創出した伊勢神道にも、
三狐神の存在が言及されています。

神道五部書の『倭姫命世紀』において、

調御倉神。宇賀能美多麻神。三狐神なり。
形は尊形なり。保食神とは是なり。

と記されている事から推察するに、
鬼道に連なる伊勢神道において
三狐神が信仰されているのであれば、
邪馬台国において三狐神の存在が
重視されていた事になりそうです。

近年では稲荷信仰は商売に絡められ、
余り良い評価を受けなくなりましたが、
本来の稲荷が高貴な存在であったなら、
原初の稲荷まで悪く言うのは失礼なので、
最低限の礼節は通す必要があるでしょう。

神々系に関わる人達にはプライドが高く、
間違った事を言っていたのが分かっても
訂正を入れないケースが見受けられますが、
当の神々に対して失礼な事をしつつも、
悟ったように神を語るのは問題ですね。

このブログを書いている目的の一つに
不当に悪く言われた存在の復権があり、
特別信仰を強要しようとは思いませんが、
一般的な人間関係でも恩のある相手を
確認せずに悪く言って訂正しないのは、
信頼を失う失礼な行為ではあります。

特に稲荷は食料に関わる神とされ、
食料自給率が危険な程に低いのに
金を出せば贅沢が出来る状況なので、
明治維新からバブルにかけての悪癖が
未だに抜けていない部分があり、
自然の恵みへの感謝が欠落しています。

南朝でも稲荷は重視されていましたが、
狐神のように見えない存在のみならず、
大地や草木、水や太陽の恵みなど、
感謝すべき対象は目の前にもあるのに、
それすらも大事にしなくなっています。

この国は豊葦原の瑞穂の国とされ、
瑞々しい稲穂の国とされていたなら、
稲穂と稲荷の繋がりは深いものがあり、
食料問題からこそ見直しが必要でしょう。

エネルギー自給率等の話をしても、
食料自給率の話を欠落させれば、
国防上の大きな問題となりますが、
ヨーロッパでは第二次世界対戦で
兵糧攻めにあった苦い経験から、
食料自給率は高い状態にあります。

最近は温暖化等も色々と言われますが、
温暖化と環境破壊は分ける必要があり、
生きる事に対する姿勢が南朝と比べて
かなり奢った状態になっていそうです。

この原因の一つが稲荷信仰の変遷にあり、
稲荷が商売の神として我欲の追求に
メリットのある信仰とされた事と
リンクしている可能性があるならば、
稲荷を悪く言い続ける悪害は大きく、
その対応には多大な責任が伴うでしょう。

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