熊野本宮大社と三狐神

八咫烏を祀る熊野本宮大社の主祭神は
家都美御子(ケツミミコ)大神ですが、
三狐神もミケツと呼ばれていますね。

となると本来は三足烏と九尾狐が
熊野では並列で祀られていたのが、
何らかの理由で不明瞭な形にされ、
三狐神は忘れ去られたのでしょうか。

狐に乗ったダキニ天が熊野で重視され、
天皇の即位儀礼で天照大神と同一視された
ダキニの修法を行う事で一体となる事は、
後醍醐天皇より前から始まったとされます。

上皇の熊野詣でがなされた事から、
地方の一霊山だった熊野への参詣が
盛んになったと言われていますが、
それ以前は役小角の開いた修験の聖地で、
壬申の乱の段階で支配されていたかは、
情報が足りず不明瞭な部分があります。

上皇の熊野詣でに関して調査をすると、
これはこれで大きなテーマとなりますが、
まあどこまでやる必要があるかですね。

即位儀礼でダキニの修法が行われる事が
南朝の段階で根絶したのであるならば、
ダキニ修法の確立に上皇の関与は関係なく、
徐福の時代から存在したダキニの痕跡を
隠蔽する意味があったのでしょうか。

室町幕府は熊野の歴史を改竄した可能性は
非常に高いものがあるとは想われますが、
現代に残されている様々な文書の信憑性を
精査していく作業は非常に骨が折れるので、
アウトライン構築と研究の流れを出す事を、
現状では優勢してやる必要がありそうです。

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