後醍醐天皇と九鬼文書

熊野には後醍醐天皇を助けた事から
九鬼の名を授かった九鬼氏がおり、
九鬼修験が継承されてきています。

上の点の無い鬼の文字が使われますが、
この漢字は豊橋の鬼祭でも使用され、
鬼と書いてカミと呼んでいる事から、
邪馬台国の鬼道に通じていそうです。

九鬼家には九鬼文書が伝わっており、
古事記・日本書紀とは違う神話が
書き綴られている事を考えると、
九鬼文書は後醍醐天皇と因縁が深く、
南朝の歴史観がベースなのでしょう。

熊野修験は鬼神が登場する花祭と関係し、
後醍醐天皇が鬼道に通じていた事は、
ほぼ間違いない事でありそうです。

後醍醐天皇と足利尊氏との戦いは
人間間の権力闘争に止まらず、
神々のヒエラルキーにも関わる
スケールの大きなものであったのか、
南朝関係者のみならずそも神々へも
徹底的な弾圧があったのでしょう。

九鬼文書にウシトラコンシンを祀る
高御座山で皇位継承の秘儀がなされたと
伝承されている事から推察していくと、
後醍醐天皇もここで皇位継承をなした
神権伝授の王であったのでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする