鏡の比喩

プラトンの著作はソクラテスの対話を記したものが多く、
ソクラテスの実物を見てきた迫力がありますが、
ソクラテスの最後は言いがかりによる死刑でした。

プラトンはソクラテスが対話してきた
民主主義を含めた様々な政治形態の比較検討を
その著作に書き記しているのですが、
当時のギリシャの民主主義については、
独自の鋭い指摘も残しています。

プラトンを民衆を図体が大きく腕力は強くても
やや耳と目が不自由で船の事に通じていない船主、
政治家を船の舵を取り仕切ろうと争い合う水夫達に例えています。

操舵術について学んでいる訳でもなく、
学べるとも考えない水夫たちは、
万策を尽くして船主に舵を任せてくれと頼み込み、
策略を使って互いに殺し合いをしたり、
船主に眠り薬を飲ませたり酒に酔わせたりして動けなくし、
船の支配権を握った後に船主の荷物を勝手に使いながら、
飲めや歌えの大騷ぎしつつ舵取りをしていくと言います。

ソクラテスを殺した民主制での政治家を、
ただ大衆に好意を持っていると言いさえすれば
それだけで尊敬されると皮肉を述べていますが、
国が豊かになり穴の開いたバケツのような欲に溺れた
民主主義の源流のギリシャから学ぶ事は多そうです。

船でも本当の操舵術を体得する人物が必要なように、
政治にも必要とするのがプラトンの哲人王ですが、
民主制のギリシャでプラトンから学び
プラトンに異を唱えたアリストテレスは、
若き日のアレクサンダー大王の家庭教師となり
結果の哲人王の思想を具現化させてしまいました。

秦帝国の兵馬桶の人形にギリシャ彫刻の影響があれば、
時代的にアレクサンダー東征と何らかの関係があります。
この頃の中国ではギリシャはおろかインドですら
外交政策の視野に入っていなかったとされているのです。

秦の始皇帝の墓にギリシャ関係者が要職でついていたなら
秦の政治にギリシャの影響が見えてもおかしくないでしょう。
秦帝国から童男童女三千人と百工を連れて船出し、
渡海先で王となった徐福の王朝にも
ギリシャ哲学や神話など様々なものが関係していれば、
古代日本の政治宗教にも影響があってもおかしくありません。

プラトンの『アルキビアデス』では
ソクラテスが鏡を比喩に「汝自身を知れ」を解釈していますが、
神道でも御神体として鏡を祀っています。
日本の宗教研究は神道・仏教・道教・儒教の
比較検討はメインに行われていますが、
これからはギリシャの方面まで視野を広げないと
見えてこないこのが多々出てくると思います。

飛鳥時代の仏教も現在考えられているものとは違い、
視野を広げる事でかなりの事が見えてきます。
壬申の乱以前の三遠は世界的にみても
優れた文明が存在していたとする情報は
調べるほどに出てくるので、
この分野の基礎研究の流れを出していき、
それらをベースに様々なジャンルの展開を行う事が、
三遠の地域振興のカギとなるでしょう。

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