江戸の商人道

江戸中期の18世紀前後の日本では、
将軍吉宗をはじめ諸侯.学者.識者に至るまで、
農を重んじ商を抑える主張がなされていました。

悪徳商人が力をつける事により極貧も生まれ、
飽食と飢えの二極化が社会問題となりましたが、
商売の世界に身を置き実地で儒教の研鑽を積んだ
石田梅岩(いしだばいがん)は、
政治に王道と覇道があるように
商人にも商人道があると提唱します。

梅岩は実体験を元に広く民衆に教えを説き、
商人の道に叶うにはどうすれば良いか、
自分の都合で騙さなければ儲からないのか、
商売で金を取るのは悪なのか等、
問答で対話して進めていった内容が
『都鄙問答(とひもんどう)』に記されました。

『倹約斉家論』等の著作もあり、
次のような言葉を書き残しています。

二重の利を取り、甘き毒を喰ひ、自死するやうなこと多かるべし。

実の商人は、先も立、我も立つことを思うなり。

富の主は天下の人々なり。
主の心も我が心と同じゆえに、
我が一銭を惜しむ心を推して売物に念を入れ、
少しも粗相せずして売り渡せば、
買う人の心も初めは金銭を惜しいと思へど、
代物の能を以て、その惜しむ心は自から止むべし。
惜しむ心を止め善に化する外にあろうか。

天下の財宝を通用して万民の心を安らかにすれば、
「天地四時は流行し、万物は育まれる」と同じく相合わん。
かくの如くして富が山の如くに至るとも、
欲心というべきにあらず。

『論語と算盤』を書いた渋沢栄一氏は
孔子は金儲けを否定していないと
論語の解釈に異を唱えましたが、
江戸後期には二宮尊徳が報徳思想を提唱し、
トヨタなどの経営思想にも影響を及ぼしています。

梅岩は1685年10月12日 – 1744年10月29日、
尊徳は1787年9月4日 – 1856年11月17日の人なので、
尊徳の百年程前に商人のための儒教の流れを
この国に出していた事になります。

易経をベースとした宇宙論を元に
天地の働きに合致した商人道を切り開いた流れが
二宮尊徳や渋沢栄一などにまで影響を及ぼしたので、
日本経済が世界一流であった時代の基礎を作った
一人であったのは間違いないでしょう。

長年、商家に勤めていた経験から
商業の本質は交換の仲介業であるとしましたが、
弟子の中にもに目覚める者が出てきたそうで、
太極拳のように経営も道理に合致させる事で
高い成果をあげられる事を示した成果は、
世界トップを走っていた頃の日本経済の
本質を見直すのに価値が高そうです。

孔子は経営者より官僚向けの教育を行ったので、

利によりて行えば怨み多し
利を見ては義を思う
君子は義をよろこび、小人は利をよろこぶ

など、ビジネスそのものの質に言及はしても、
商業活動自体を否定してはいないのですが、
経営者向けのカリキュラムは編纂していないので、
日本独自に発展した儒教として価値があります。

ある学者と商売について議論するところは
ソクラテスの対話のように面白い部分で、
底無しの私利私欲のために悪徳な政治を好む者が
徹底的に論戦を張るのに対処するように
悪徳経営者の理論に対して答えているので、
現代人も一見の価値ありです。

ネットでも無料で読めるので、
目次だけ見ても江戸中期の商人が
何を重視していたかを見る事ができます。

251pの「或学者商人の学問を譏(そしる)の段」等は
内容としては面白いのですが現代語ではないので、
全文翻訳して載せるのは厳しいですね。

図書館で現代文の都鄙問答が借りられれば
読んでみる価値は十分あいますが、
「商人の道を問ふの段」なども、
現代経営を見直す参考になると思います。

近代デジタルコレクション『都鄙問答』

日本経済学部を世界一流に押し上げた
渋沢栄一氏が一万円札の肖像画になりますが、
彼や二宮尊徳は有名であっても、
源流に位置する石田梅岩はマイナーです。

新一万円札が出る事で経営思想の見直しの流れがでると、
この周辺の教養は最低限のものとされる流れが出て、
見識の低い経営は透けて見える事になりかねません。
知らなかった人は読んでみると良さそうですよ。

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