現代日本での儒教の一般認識は、
上の命令に絶対服従を強要する
事なかれ的なイメージが強い
印象を受ける事があります。
儒教経典の一つ『易経』には
沢火革と言う革命の卦があり、
上が真っ当な政祭をしないと
革命されても仕方なしとする、
上を諌める考えもありました。
儒教を悪く言っている人も、
経典読んだ上での言論を
展開する人が余りに少なく、
二宮尊徳による再建策も
儒教経典に見られます。
体制変革を是としない洗脳で
民を支配するイメージは、
どこから来たのでしょうか。
これが余りにも意外ですが、
江戸初期の神道家により
儒教がねじ曲げられた事が、
大きな影響を及ぼしています。
山崎闇斎は無道な行いをする
君主が存在していたとしても、
三回諌めて聞き入れなければ
従わなければならぬとし、
放伐どころか君臣関係の解消も
許されない物としました。
父が君主に反逆を目論んだ時は
主君に訴えるように強要し、
本来の儒教とは関係の無い
酷い思想を蔓延させています。
この主君とは北朝天皇を指し、
垂加神道を提唱する事により
神道での天皇絶対優位思想が、
この周辺から出ています。
闇斎の高弟であった佐藤直方は、
本来の儒教を持ち出した事で、
闇斎から絶縁されたそうです。
江戸末期には復古神道が出て、
この思想から儒教を除外しつつ
天皇の絶対支配は継承しており、
幕府が民宿を扇動するとして
警戒したとされる神道こそ、
この系譜に繋がりそうです。
江戸幕府は吉田神道を重視し、
この系統とは全く異なる神道は
認められていた事を考えると、
出所が気になって来ますね。
天皇を絶対視する思想は、
平家以前の天皇観と異なる
別系統に属しています。
それ以前は菅原道真らも
儒教を教えていましたが、
お上にやられて嫌な事を
民にしない事は基本です。
この奢った権力思想は、
どこから来たのでしょう。