ここ数年議員と話をする事が
多くなって来たのですが、
話を聞いていて見識について
弱いと思われる部分があり、
欧米系の流した情報が元の
ピント外れの感を受けます。
外交は性善説ではダメだと
言われたりしていますが、
本来の意味からすれば、
この解釈は問題となります。
本来の性善説は無闇な信頼と
全く別次元の話であって
万物の根元=道と関わる
根幹的な部分に関わります。
太極拳の修行のように、
政治も専門の研鑽を積まず
達人の域に達する事が
可能かと言う問題があり、
磨かなければ光りません。
磨いて光るのは内側に
光が存在しているからで、
これが神性や仏性などと
他宗教で語られる事の
儒教的な表現ですね。
性善説を語ったのが孟子で、
孔子は分かる人には分かるし
分からない人には説明しても
分からないと言う事から、
段階を踏まえた話をします。
太極拳の達人の域の話を
どれだけしてたとしても
達人になれる訳ではなく、
修行が必須なのは当然で、
その前に師匠が重要です。
性善説は政治家としての
達人となるための話で、
この域に至れば神々とも
交流可能であるとします。
君子は神がかりをして
政治を行う者を意味し、
神に通じるレベルまで
自らを磨き上げる事が
学問の肝となっています。
現代の政治家を見ると、
神クラスと思われる人が
どれだけいるかと言う
話になってしまいますが、
財政再建をした二宮尊徳や
上杉鷹山は神クラスですね。
彼らは儒教を学んでおり、
財政問題は神道や仏教より
儒教に軍配が上がります。
自分のレベルが高い事を
吹聴しても痛々しいく、
相応の成果を上げた事で
後世にまで語り継がれる
偉業を成し遂げる事は、
政治家の本懐でしょう。
環境破壊の叫ばれている中、
自然界と対話をした上での
政策が欲しい所ですが、
昔は自然界の神々に対する
詩も用いられていました。
山川草木にも仏性が宿るとは
日本仏教にある思想ですが、
性に至る事でこれらとも
交流が出来るのであれば、
修行は必須要項でしょう。
偉大な政治家の菅原道真も
密教を修行した人物であり、
アショーカ王の碑文にも、
神々と交流した政治の姿を
見る事が出来ますね。
古墳を造営した土師氏も
密教修行をしているので、
都市開発にもこの思想が
関わった事は確かでしょう。
農業だけでも山・川・田等の
様々な神との関わりが存在し、
これらを下に支配した事で
様々な問題が出て来たなら、
祭祀も一つの回答になります。
既にアメリカから自立すべき
時期となって来ていますが、
欧米の持ち込んだ思想で
運営していて良いのかは、
難しい問題があります。
この国の優れた部分を否定し
欧米化する事で失った物は、
余りにも大きいでしょう。
失われた真価に対する研究を
続けて来てはいるのですが、
余りにも膨大な領域があり、
これを取り戻す事の価値が
どれ程かを思い知らされます。
歴史を考えている人でも、
良くて明治維新以降か、
戦国時代周辺をベースに
日本史を考えていますが、
これだと近視眼的に過ぎ、
見識が狭くなりかねません。
神道を語る人であっても、
伊勢神道すら知らなければ、
歴代の浅い話となります。
歴史を失った民族は滅びると
言われていたりしますが、
この時代にもう一度根幹から
洗い直す必要があるなら、
私の研究がその発端となれば
執筆の価値ありと言う物です。