遣隋使は小野妹子が有名ですが、
遣唐使は孝徳天皇の世に始まり、
斉明天皇の御代に一度、
天智天皇の御代に二度、
天武・持統の両代には無く、
文武天皇大宝元年に再興し、
桓武天皇に至るまでは
元明・称徳の二代を除き、
歴代各一度行われたそうです。
天武天皇の時代と言えば、
このブログでは有名な
壬申の乱の直後なので、
遣唐使の派遣がない時代の
解釈は簡単にできます。
ここは本を読めば各自で
各自で推察が十分可能な
簡単なレベルの話なので、
書くまでもありません。
桓武天皇の延暦二十二年、
遣唐大使が定められるも、
難波を出航した翌日には
暴風雨で延期となります。
この後の遣唐使が有名な
最澄・空海の渡海となり、
橘逸勢はオマケ程度の
扱いがなされています。
しかし逸勢は空海と同じく
第一船に乗っているので、
最澄より格上の存在として
扱われていた事になります。