惟喬親王が元安三年(859)頃、
轆轤(ろくろ)を用いた
木地製作の技法を開発し、
家臣の小椋大臣実秀と
大蔵大臣の惟仲に伝授し
製作にあたらせたのが
木地師の始まりとされます。
皇族が趣味に没頭した結果、
全国に技術が広まったと
伝承されている事に対して
疑問は提唱されていないのか、
不思議な所ではあります。
惟喬親王の墓に参拝しましたが、
参道の横に小野神の神社があり、
小野神との関係の深さが伺えます。
親王の隠居地と呼ばれる場所は、
バスの路線図で見れば数駅でも
かなり奥地まで行った所にあり、
どちらかと言うと隠れ里の
印象のある場所でした。
こんな山奥の僻地にまで
皇族が歩いて来たのかは
不思議な感じを受けますが、
隠れ里であったのであれば、
皇位継承に関われたのかは
疑問となる所です。
小野神が皇室で信仰される
神であるか否かですが、
詳しい事は分かりません。
サンカは侵略を受けた事で
山奥に移住した先住民で、
小野神も先住民の信仰した
神であったと仮定すると、
お家騒動で引き籠った話は、
裏がある事になって来ます。