歴史に学ぶ

歴史を学ぶ事は外に出て
帰った人が自らの故郷の
良い所も悪い所も分かり、
外で培われた実力を元に
活躍する効果がある事を、
記事にした事があります。

最近は歴史ばかりなので、
海外経験のある人と話すと、
触発される事が多いですね。

日本は歴史・宗教・哲学等、
文化系は特に金になりにくい
研究領域になっているそうで、
人の基礎に当たる分野として
海外では大事されるそうです。

歴史に学ぶと言いますが、
儒教経典には失敗例すら
赤裸々に記されており、
自分にも当て嵌まる話は
身につまされますね。

素人の政治家や官僚が、
小銭で利用された挙げ句
大きな責任を追及され、
比較にならない利益を
持っていかれる話などが
議論されていたりします。

人間の失敗を考えると、
無限のバリエーションが
存在する訳でも無いので、
過去の失敗例を見る事で
状況の客観視をする事が
可能になって来ます。

少し噛った程度が危険で、
素人騙しは出来る物の、
重責の関わる話になると
見ない振りをしたりして
誤魔化して逃げていると、
ツケの精算に苦労します。

慢心の出る段階なので、
見直す事が難しいのが
状況を悪化させます。

道理が分かってからが
本当の勝負になるので、
そこを培えないなら、
教育ではなく洗脳です。

道理に精通する事を
儒教では格物と言い、
基礎段階とされます。

日本の古史古伝などは、
太古の日本が凄かったと
自慢話をしていますが、
失敗が0なのはありえず、
包み隠さず向かい会う
姿勢が無いと大変です。

必要以上に優しさを
アピールする人の方が
危なかったりしますが、
本当に凄い人であれば、
自己をアピールをする
必要すらありませんね。

必要以上に凄かったと
話をされたとしても、
今やっている事を見て
残念な気持ちになると、
過去の栄光もアウトです。

歴史学ぶ事は今現在を
どう生きるかに関わる
根幹に通じています。

この国も歴史の価値を
再認識する事によって
新たな流れを出す事が、
時代の要請でしょう。

私も儲からない研究を
続けて来ていますが、
次の時代の礎となれば、
続けた価値があったと
言えるのでしょうね。

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