惟喬親王は皇位継承に敗れた後、
都を離れて数人の側近たちと共に、
小椋谷で余生を過ごたとされます。
小椋谷は木地師たちが祖先の地と
信仰する聖地とされています。
小椋谷はこの周辺の六つの村、
君ヶ畑・蛭谷・箕川・政所・
黄和田・九居瀬を指しており、
君ヶ畑・蛭谷の集落には、
木地師の文化が残っています。
君ヶ畑は惟喬親王を祀る
高松御所金龍寺と
大皇器地祖神社が鎮座し、
蛭谷町には筒井公文所、
惟喬親王の御陵、
木地師資料館があります。
御陵に参拝に行った時には、
軽く考えてはいたものの、
フリーチケットを買った時に
貰った地図では数駅なのに、
かなり奥地にありますね。
ここは全国の木地師達の
保護・統括をする地と
認識されていますが、
隠居し趣味に没頭したなら
大規模に過ぎています。
彼がサンカネットワークを
統括していた人物であれば、
彼が清和天皇の兄であって、
皇位継承に負けた話には、
疑問が出てくる事になります。
侵略して追いやられたサンカが
清和天皇の兄とされるなら、
清和天皇の擁立から陽成天皇~
光考天皇~宇多天皇の流れに、
先住民族王権の復興に関わる
深層を垣間見る事が出来そうです。
天神=鬼道説を成立させるには、
菅原道真公登用までの流れで、
先住民族王権が復興していないと
信仰的に無理な話になりますが、
根拠の補強になり得るでしょう。