御蔭山の湧水の磐座は
船繋ぎと呼ばれますが、
移転される前の御蔭神社は
橋を渡って入ったそうです。
参道の両側に鎮座する磐座で、
御生(あれ)綱をひいた事から
船つなぎと呼ばれたとされます。
御蔭神社では古代より伝承された
御蔭祭が執り行われるそうですが、
日本最古の神事とされており、
伊勢を押し退けている事に対し
素直に驚ろかされますね。
御蔭祭は御祭神の荒御魂が
生まれ変わる神事とされ、
式年遷宮と違い毎年の行事です。
毎年四月の午の日であった神事も、
五月十五日の賀茂祭(葵祭)に先がけ
三日前に行われるそうです。
賀茂祭は京都三大祭りの一つとされ、
明治時代までは御生(みあれ)神事と
呼ばれていたとされています。
賀茂建角身命と玉依媛命の御神霊が
生まれ変わる事から御生と呼ばれ、
この御霊を賀茂御祖神社に迎える神事は
第二代綏靖(すいぜい)天皇の時代に
始まったと伝えられています。
在位がB.C.581年~B.C.549年とされ、
この伝承が本当であるとすれば、
徐福渡来よりも古くからあったと
伝えられている事になります。
伊勢を遷した倭姫の伝承すら
遥か後の天皇の時代とされ、
伝承だけの話だとしても、
伊勢より古いとされるのは、
中々に凄い話ですね。
皇室の祖で日本最高位の神を
祭祀する神宮よりも前から
尊重されてきたとする話には、
どんな背景が存在するのでしょう。