比叡山の麓にある御蔭神社ですが、
社伝は山背国司が677年に造営した
賀茂神宮がこの地であった事を
伝えているようですね。
古代世界最大の戦と言われる
壬申の乱が672年なので、
このすぐ後に造営された
神宮となるのでしょうか。
それとも壬申の乱以前から
存在していた神宮こそが
陰蔭神社であったなら、
山背国の古代祭祀場が
封印されたのでしょうか。
陰蔭神社には小野氏が関わり、
小野氏が古代賀茂祭祀に
関わっていたとすれば、
惟喬親王は古代賀茂祭祀を
復興させようとしていた
可能性すら浮上してきます。
この地域には後に陰陽師の
安倍晴明と関わる要素も
関わって来るようです。
平安京の北に陣取っている
上賀茂神社ではありますが、
平安京に陣取る朝廷からは、
厄介な勢力であったでしょう。
承和の変と小野氏が関わるなら、
かなりの大規模な動乱であった
可能性を見る事が出来そうです。