平安京の出雲の痕跡

京都の上・下賀茂神社周辺は、
川によりデルタの形状に
区分けされたエリアですね。

この川により南北エリアが
分割されていた事により、
北側を清浄な聖地として
区分していたとする説を
聞いた事があります。

上高野の崇道神社の境内社に
小野神社が存在していますが、
小野妹子と小野毛人(えみし)が
御祭神とされているようですね。

小野妹子の子とされる毛人は
天武朝で活躍したとされており、
遷都以前の京都の北エリアは、
かなり拓けていた感があります。

境内社には出雲高野神社があり、
出雲の痕跡も見受けられますね。

崇道天皇を祀るこの神社に
参拝に行った事がありますが、
怨霊の様な気配は感じられず、
社の前で話をしていた時は、
悲壮感が漂っていました。

問題は上賀茂神社の建立も
天武天皇の時代とされ、
この時代は私の研究を
読んだ方は分かりますが、
例の壬申の乱の直後です。

私の研究を知っていれば、
これだけで色々な事を
推察するのに余りある
出来事なのが分かりますね。

崇道天皇は天皇と言っても
小野氏に通じる王であり、
平安京遷都に伴う侵略戦で、
殺された線も残されています。

ここは道鏡周辺の話となり、
道鏡で一冊書こうと思って
死蔵している所なので、
余裕があったら書く事も
あるかも知れませんね。

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