山背国の祭祀王

御蔭山は古代山背(山城)の
豪族の祭祀の中心地とされ、
崇徳神社がこの付近に
鎮座している事を考えると、
平安京遷都のために侵略して
殺されたのが崇徳天皇なのか、
祭祀王の可能性がありますね。

橘諸兄も葛城王と呼ばれており、
各地に王が何人もいたなら、
ヤマトは統一王権ではないと
思われるかも知れません。

しかし徐福の研究をしている
私の立場から言わせて頂くと、
アレクサンダー大王の用いた
サトラップが秦帝国にも見られ、
徐福がこれを持ち込んだなら、
古代ヤマトもこれと類似した
統治形態の可能性があります。

アレクサンダー大王は諸国を
強引に下につける事をせず、
各々の宗教や文化を尊重して
それまでと大差ない統治を
任せていた事を考えると、
各地に王がいても普通です。

現代では京都の奥にある
山の中にあるエリアですが、
古代賀茂祭祀の聖地として
尊重されていた事を考えると、
疎かにする事は出来ません。

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