小野氏と出雲

小野氏は出雲の日御崎神社に
関係する氏族でもあります。

と言う事は下賀茂神社周辺の
出雲の痕跡にも密接に関わる
氏族と言う事になりそうですが、
日御崎神社とは何なのでしょう。

社領は中世末に四千石ですが、
明治元年は出雲国内で二番目の、
千二百八十五石余にまで増加し、
出雲の中でもかなりの地位です。

明和三年(1766)の「社法式帳」に、
検校の下に上官・被官・楽人・
神子・神人など計六十四人が
存在した事が記されていますが、
日御碕神社の正神主である検校は、
小野家で占められていたそうです。

小野家の家譜は素戔鳴尊の五世孫の
天葺根命の後裔としており、
大晦日に行われる神剣奉天神事は、
八岐大蛇を斬って天叢雲剣を得た時、
祖天葺根命が天照大神に奉献した
故事を由来とする神事だそうです。

となると小野神は出雲神となり、
小野妹子から篁に至る流れは、
出雲との関係で再解釈を行う
必要性が出てくる事になりますね。

賀茂の深層に出雲が関わり、
古代出雲が三遠であれば、
古代王権の重鎮の小野氏が
サンカネットワークを通じて
政治に関与した事になります。

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