空海の謎

空海については何が何でも
書くつもりはなかったのに、
橘逸勢について語る上では、
避けて通れない所があります。

逸勢と空海は遣唐使として
同時に唐に旅立った後、
二人一緒に帰国しています。

空海の遣唐使には謎が多く、
大日経を学びに唐に行こうと
決意すると偶然にも
二十年間中止された遣唐使が、
再開される事となっています。

同時期に唐に渡った最澄は
朝廷が認めた正式の僧侶でも、
空海は私度僧だったので、
得度し正式の官僧になります。

思い立って即座に官僧になる事は
普通に無理な話ではありますが、
遣唐使になる事は更に難度が高く、
これも簡単にクリアしています。

遣唐使船団は延暦二十二年(803)に
難波の港を出発していたものも、
瀬戸内海で座礁した事により、
博多での待機中に欠員が出た事で、
遣唐に渡る事が出来たとされます。

留学生(ルガクショウ)の空海は
国からの支給に頼れないはずが、
何千万~億単の経費をかけています。

留学生は二十年滞在する必要があり、
二年で切り上げ橘逸勢と共に帰国する
無茶な事を強行したとされます。

空海の乗った遣唐使船が嵐にあい、
南へ流され福建省へ漂着した後、
密航船と疑われ嘆願書も無視されるも、
空海が書いた書を見て扱いが変わり、
上陸が許可された事になっています。

これらの謎は私の研究により
全て説明がつけられます。

橘逸勢と唐への帰国を共にしたなら、
空海の謎は橘逸勢にも深く関わり、
この時代の真の姿を見るためには
必須の研究課題となるでしょう。

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