聾瞽指帰

父の佐伯直田公(あたいたぎみ)と
叔父の阿刀宿禰大足(おおたり)に
都の大学寮入学を進められた空海は、
入学後数年で入山し仏教の修行に
明け暮れたとされています。

入山と言う事は修験道を
学んだ可能性が高いですが、
行基との関係は語られません。

父がこれに激怒したので、
空海は仏教が儒教よりも
優れているとする理由を
書いたとされています。

この時書かれた『聾瞽指帰』は、
後に改定され『三教指帰』として
後生にも知られる事になります。

私はこの三教指帰の内容が
余りにも浅すぎるので、
本当にこれを書いたなら、
空海が意図的に捏造したか
理解が浅いかであれば、
程度を疑うところです。

しかし研究を進めていくと、
空海が書いてはいなかった
可能性が高くなって来ます。

大学寮は国の役人を育てる
日本最高の学校とされており、
既に国を代表する僧として
唐に渡っていた可能性が、
浮上して来るからです。

空海の密教輸入に巨額の金が
必要であったとされますが、
国の僧侶でないのに金の出所が
不明であった事は有名です。

父の佐伯田公は多度郡を治める
役人の長であったとされますが、
国家プロジェクトでもない限り、
動かせないレベルでしょう。

空海と行基との関係となると、
私の行基研究を前提とするかで
全く違った展開になりますが、
私の研究に整合性があれば、
この周辺の解明も出来ますね。

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