崇道神社や京都北の複数の神社で
早良親王が祀られていますが、
桓武天皇が藤原種継の暗殺に
関与したと因縁をつけられて
皇太子から下ろされた人物です。
無実を主張する早良親王は
ハンガーストライキに出て
死亡して怨霊となった事から、
様々な神社に祀られた話が
伝えられて来ています。
祟りを恐れ崇道天皇の名が
与えられたとされますが、
この様な理由で天皇の称号が
与えられる物でしょうか。
藤原種継暗殺事件と言えば
長岡京遷都に際しての話で、
大伴家持も因縁をつけられた
不可解な事件とされています。
とここまで来れば今までの記事を
読んで来た方ならこの真相が、
先住民族との戦いであった事を
推察するのは容易いでしょう。
早良親王もそちら側の人物で、
侵略戦争で残虐な目にあわされ、
怨霊として鎮魂する流れで、
一連の解釈に筋が通ります。
崇徳神社周辺は出雲の勢力が
根を張っていたエリアなので、
ここで鬼神祭祀を行っていた
王であったであろう可能性も、
ゼロでは無さそうですね。
小野氏の賀茂祭祀とも関わる
重要な場所に祀られるのは、
余りにも暗示的ではあります。