橘氏と御霊神社

京都右京区下桂の御霊神社は、
元は村社とされていますが、
元禄二年の由緒書には八社の内、

第五、橘逸勢公当下桂ノ宮

と注が記されています。

藤原明衡の『雲州消息』下巻には、
散位橘(名は不詳)の消息に
「桂辺有領地」と記されており、
右京区下桂にある御霊神社は、
橘氏が後に逸勢の社を移遷して
祭祀した事が起源なのでしょうか。

ここに祀られるのは政治的に
不遇な扱いをされてきた人達で、
私も執筆前に参拝に行って、
色々と話をして来ています。

文室宮田麻呂も祀られており、
時期的には近い人物ですが、
承和の変に関わったので、
橘氏により祀られる事と
なった可能性はあります。

死んだ後からも何百年と
悪く言われ続ける心情は、
察して余りある所です。

歴史はその時代に生きてきた
人の思いが関わる物なので、
知的な優位性の確保のため
故人の心を踏みにじる行為は、
注意すべき所になりますね。

橘逸勢の遺体は三ヶ日から
京都に運ばれたとされますが、
100%と断定するのは難しく、
歴史改竄の整合性のために
捏造された可能性があるのが
難しい所となっています。

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