六甲と七甲

神功皇后が新羅遠征した帰路に、
皇后が九州で産んだ王子が
帝位を継ぐ事を恐れた二人の兄・
香坂(かぐさか)忍熊(おしくま)が
皇后一行を襲ったとされています。

しかし六甲山で返り討ちにあい、
香坂・忍熊はじめ首謀者六人の首が
兜(甲)と共に山中に埋められた
伝承が残されているようです。

これが六甲山の名の由来とされ、
聖地なのに禍々しい伝承が
残されているのもアレですね。

神功皇后が甲山に兜を埋めたなら
七甲山になりそうなものですが、
六甲山の名の由来には様々な説が
存在している状態にあります。

籠神社の奥の院で祀られる
豊受大神の伝承の中にも、
七の数字が見受けられます。

そしてこの奥の院の名前は
真名井神社とされており、
この名は甲山の開基にも
見る事が出来るのです。

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