豊受大神が真名井神社から
伊勢に遷座した雄略22年に、
浦島子が龍宮へ行った事が
『日本書紀』に記されます。
そして真名井御前が神呪寺を
創建した天長二年(825)に、
浦嶋子の持ち帰った宝箱を、
空海が如意輪観音像の中に
隠した事となっています。
雄略天皇と言えば私の説で、
ヤマトタケルが元ネタの
捏造された存在とする話を
見た事があるでしょう。
雄略天皇が伊勢外宮と
浦島太郎に関わるのは、
流石に盛り過ぎですね。
この天皇の記述は他と比べ
異常に多いだけではなく、
内容も特異な物ばかりで、
特別扱いがされています。
久保良神社にも浦島太郎の
像が置かれているのなら、
甲山と六甲山の関係も、
更に強固となるでしょう。