浦島子の名

籠神社に置かれた亀に乗った
浦嶋子の像の名前を見ると、
倭宿禰命と呼ばれています。

この名で呼ばれる以前は、
珍(うづ)彦であったり、
椎根津(しいねつ)彦と
呼ばれていたそうです。

『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』は
亦名を神知津彦(かんしりつひこ)とし、
倭宿禰命は丹後海部氏の祖神とされる
彦火明命の第四代に位置付けられます。

彦火明命は物部氏の祖神とされる
饒速日(ニギハヤヒ)とする話が、
『先代旧事本紀』に記されています。

浦島太郎が饒速日の末裔であれば
何かと凄い話になるのですが、
雄略天皇=ヤマトタケルであれば、
饒速日王権と関わるのでしょうか。

空海に雄略天皇崩御の前年、
鳳来山に行った浦嶋子が
帰って来た話と関連付けた
伝承が残された背景には、
何があったのでしょうか。

空海の活躍した時代を見ると、
橘逸勢の承和の変の周辺にも
関わって来る事になります。

この周辺の時代に空海が
六甲山祭祀を復興させ、
後にこれを隠蔽するため
伝承の捏造が行われた
可能性が有りそうですね。

雄略天皇は神を思わせる
大徳の天皇とされる一方、
クーデターを起こしたり
酷い事をする悪人とも
書かれている存在です。

何かと神秘的な伝承の多い
雄略天皇の記述を見ると、
有徳のヤマトタケルの痕跡を
抹消する事が難しかったので、
伝承に取り込もうとした事で、
チグハグになった感を受けます。

この線で考えれば様々な伝承に
二系統が存在する理由付けにも、
繋がる事になって来そうです。

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