浦島太郎とヤマトタケル

浦島太郎の伝承を探っていくと、
『日本書紀』の雄略紀の中に、
その原型を見る事が出来ます。

二十二年、秋七月、
丹波國餘社郡筒川人瑞江浦嶋子、
乗舟而釣、遂得大龜。
便化爲女。
於是浦嶋子感以爲婦、
相逐入海、到蓬莱山、
歴覩仙衆。語在別巻。

亀を助けたのではなく、
船で五色の亀を釣ると
女性に変化し夫婦となり、
海に入り鳳来山に行き、
仙人達と会う話ですね。

ここに登場する鳳来山は、
徐福が目指した東海の
三神山に含まれています。

となるとこれは神仙道に
関係する伝承となり、
玉手箱を開ける話も、
仙人となる事に関係する
可能性が浮上して来ます。

しかし更に問題なのは、
この雄略天皇22年こそ、
外宮に豊受大神が遷座し、
倭王武が上表文を送った
因縁の年となる事です。

即位22年1月1日になると
白髪皇子を皇太子とし、
翌年には病で崩御したと
記されている事から、
死ぬ前年に色々な伝承が
リンクする事になります。

豊受大神の外宮については、
『ええじゃないか』の本に
詳しく書いておきましたが、
この伝承とは系統の違う、
外宮の根幹が存在します。

倭武=雄略天皇=ヤマトタケルが
私の提唱している説なのですが、
新たな角度からこれらについて、
研究を提示する事が出来そうです。

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