綱敷天満神社の由緒には、
聖徳太子が四天王寺建立時に
礎石用に御影石を切り出した
伝承も残されているようです。
境内の北西に鎮座するのは
草壁稲荷大明神ですが、
草壁や日下部は三河一宮の
砥鹿神社にも関係します。
となると私の研究している
壬申の乱にも関わる話で、
百済から侵略した勢力が
瀬戸内海を東征した事を、
お家騒動として隠した説の
補強となり得る話ですね。
壬申の乱の後に歴史改竄に
古事記・日本書紀を編纂し、
ヤマトの歴史を隠蔽したなら、
ここも重要な聖地であった
可能性が高くなります。
古代太陽神崇拝と関係する
日下部と鏡作部が関わるなら
三角縁神獣鏡も太陽神祭祀と
関係するかも知れませんね。
三種の神器の鏡も太陽神と
密接に関係しているので、
六甲山の古代祭祀だけでなく
播磨の陰陽師たちも含めて、
イメージを変える必要性が
存在するのかも知れません。