農耕祭祀の本を書こうと
『詩経』を読み返すと、
新しい発見がありますね。
表現方法の呪術的な意味を
理解する事が出来たなら、
色々と応用する事により、
人生が楽しくなりそうです。
病は気からと言われますが、
荒々しい波を表現する事で
その生命力を取り込んで、
治療する呪術的な発想が
存在していたそうです。
花と対話していると
晴れ晴れするのも、
根拠がありそうです。
他にも都の素晴らしい所を
詳細に誉め讃える事により、
その徳を輝かせる思想も
存在していたようですね。
これで行くと女性を誉めれば
綺麗になって行く事になり、
部下も優れた所を誉めれば
仕事が出来るようになる
可能性を感じさせられます。
相手の長所を誉める事で
自分にも取り込めるなら、
素直に誉めておく方が
メリットは大きそうです。
現代ではこの真逆の言葉を
用いる事が多そうですが、
美しい言霊を学べる本が
教育で採用されないのは、
余りにも問題でしょうね。
江戸でも詩経が教えられ、
様々な思想を学ぶ事で
政治に応用していたなら、
現代は何なのでしょうか。
孔子は詩経を邪心が無いと
説明していたそうですが、
神々を動かす言霊には、
誠が重要なのでしょう。
誠は精神論で終わらず、
道理を欺かない姿勢は
責任感にも通じるので、
腹切りをする姿勢にも
通じている物ですね。
神道関係者で儒教の研究を
している人はいるのですが、
詩経までやっている人を
見た事が無いとの事なので
言霊と詩の関係の認識が
弱いのは当然でしょう。
後期万葉は詩経的発想と
異なって来ているそうで、
壬申の乱後の歴史捏造と
リンクをしていそうです。
神々のみならず外交にも
詩が重視されていたので、
詩がダメなら政治的にも
ダメと言う事でしょう。
詩の解釈でレベルが
測られたのであれば、
美しい型を見る事で
武術的な力量を測る、
達人の世界になります。
日本では万葉や和歌が
政治と通じていたので、
政治家や官僚たちに
お題を出しての解釈で
力量を見る機会があると
非常に楽しそうですね。
ボスの下で好き勝手が
出来て来たとしても、
後ろ楯が無くなったら
地に落ちるようでは、
人としての根幹から
反省が必要な話です。
自分の責任を棚上げして
お前が言うかが多いので、
徳を磨く詩を基礎とする
孔子の見識は高そうです。