最近は政治に関心無かった層も、
財務省解体デモに参加する等の
動きの見られる時代ですね。
アメリカで共和党が勝利した事で、
日本でも革命の時代に突入した
感じを受ける事が良くあります。
江戸時代までは儒教が官学で、
封建制の維持のための洗脳と
捉えらた時代がありますが、
原典に当たった方がいるかは
疑問が非常に多いところです。
儒教経典の一つ『易経』には、
沢火革と呼ばれる革命の卦が
含まれている事からも、
この説を覆す事は簡単です。
世界の歴史を眺めてみると
捏造された物も多いですが、
革命の中身によっては、
良からぬ話になりかねない
リスクも存在していますね。
孔子は最低限の礼さえあれば
誰にでも教えたとされますが、
無料で聞いて責任になったら
黙って消える程度であれば、
最低ラインは割っています。
孔子は言っても分からない段階の
生徒に教える内容とも区分けを
確りと行っていたようですが、
武術でも段階別に修行内容が
変わって来る事もあるので、
基礎から学んでいくべきです。
ただ時代的に重要な意義が
存在していると言うのなら、
おかしな方向に行かずに
成果を上げた方が良いので、
公表する事にしました。
では易経における革命の説明は
どの様なものなのでしょうか。
革。巳日乃孚。元亨利貞。悔亡。
革命は巳日(改めるべき時)に誠を持ち
徳をもって行われれば悔いは亡ぶとし、
状況と誠が重要である事を伝えています。
細かい話をし出すと専門的に成り過ぎ、
相応の資格が認められる人物でないと
伝えない類いの話になるのですが、
パクって出典を隠し教え人もいて、
困った人に利用されるのは問題です。
口先だけで誠の見られない人も多く、
言葉では良い事を言っている様で
やっている事が違っている人達が、
現在どれだけいるのでしょうか。
彖曰、革、水火相息、二女同居、其志不相得曰革。
已日乃孚、革而信之。
文明以説、大亨以正。革而當、其悔乃亡。
天地革而四時成、湯武革命、順乎天而應乎人。
革之時、大矣哉。
彖曰く、革は火水が通じ二女が同居し通じない事を言う。
改めるべき時に誠があれば、革も信じられる。
説は文に明るく、大知で正す。革が当を得れば悔いは亡ぶ。
天地は革で四季を成し、湯・武の革は天に従い人に応じた。
革の時は偉大なるかな。
ここには殷の湯王・周の武王が登場し
歴史から学ぶ事の重要性を訴えます。
自身で調べた方が学びになるので、
全てが受け身では革はダメですね。
都合の悪い事を誤魔化さない事が重要で、
私が飽海遺跡の話を持って行っても
理由も言わず動かない議員等を見ると、
革命を語るには信頼が無さ過ぎます。
象伝
象曰、澤中有火革。君子以治歴明時。
象曰く、革は沢の中に火あり。君子歴を治め時を明らかにす。
火水のダイナミズムが四季の革を生み、
革命も自然の運行に通じる物なので、
暦を極め状況を明らかにする事こそ、
君子の行いとされている様ですね。
自然界の法則に精通する事が
政祭に通じるのであれば、
道理に合致していない革命は
宜しく無いと言う事でしょう。
これ以降は様々な具体的な話で、
時期尚早なので準備が必要とか、
タイミングが重要だとか、
相手を攻撃し議論を重ねれば
無礼で危く誠がいるとか、
色々と示唆に富んでいます。
君子豹変すと言う孔子の言葉も、
沢火革から来ているのですが、
小人は表面的な革命のために
攻撃的な手段に出るので、
禮が必要とされる所です。
神であるかの如く振る舞う人も
歴史的はにいたりもしますが、
革命が成功して奢った末路は、
どの様なものなのでしょうね。
これは一神教圏に良く見られる、
神を信仰している様に見せかけ
自らを神として支配をする様な、
小人の行いを指していそうです。
口先だけ誠を語っていながら
権力闘争しているだけの人達に
騙されるのもつまらないので、
見識が必要となって来ます。
自然界の運行に精通した上で
これに合致して動ける人は、
浩然の気を培う事が出来て
天人合一の境地に至れると、
朱子学では語られています。
禮も一神教的な物でなく、
天地の神々と共に経綸する
天地人の三才の揃った形の、
アショーカ王の仏教的な
政治思想に通じています。
欧米支配は一神教的ですが、
ここから脱しようとしても
同じ穴のムジナであれば、
革命は成功しないでしょう。