ええじゃないかを調べて行くと、
政治に関わる問題が見えます。
偶然にもええじゃないかが
始まったとされているのが
私の住んでいる豊橋なので、
実地調査や郷土史料など
他よりも強みがあります。
郷土史料の中には鈴木謹一著の
『江戸時代の百姓一揆』があり、
副題は天竜川地方を中心としてで
地元の詳しい調査が記録されます。
ここに面白い見解があったので、
本に書こうかメモしておいた物を
腐らせておくのも宜しくなく、
取り敢えず公開しておきます。
京王三年の夏頃から年末にかけ、倒幕派と佐幕派の激突が熱化し、十月十三日には薩摩藩主に、翌十四日には長州藩に倒幕の密勅が下った。
この情勢を察知した幕府側は急ぎ十四日に大政奉還を奏請、翌日に受理された。
徳川政権が滅亡した後も、倒幕派は宮廷クーデターで徳川氏の勢力を根絶しようとし、十二月九日には徳川幕府に関わる新政府の総裁・決議・参与の三職設置が決まり、天皇親政の王政復古の大号令が天下に発せられた。
この混乱期の真っ最中、夏頃から東海地方の社寺に雑多な御札や小銭の様な異物は空から沢山降り始めた。
この御札が降ってきた家々では、神業だとして神棚に祀り、餅をついたり神酒を供え、村をあげて祭に参加した。
この御札降りと踊りはたちまち周辺地区へ波及し、東は江戸、北は信州、西は京・大阪、南は伊勢から淡路島を経て四国一体にまでまで及んでいる。
阿波では着物でも食料でも道具でも、ええじゃないかと呼びかけるとええじゃないかと答えるので、何でも持って帰れたと言う事例もあり、百姓一揆の打ちこわしと紙一重の様相を呈してくる。
おかげ参りは六十年周期で起こっているが、前回は一八三〇年であったので、ええじゃないかは三七年目で外れている。
熱狂的なええじゃないか踊りは八月に始まり十二月に各地でほぼ終わっており、幕府の行政機関が殆ど麻痺していた間に倒幕派のクーデターが成功している。
ええじゃないか踊りが盛行した地方では百姓一揆は半減し、百姓一揆で民衆の革命的なエネルギー放散され、政治的に結集して組織化されなかったために、全国的な人民運動になりえなかったのと同様である。
浜松地方にも八月中頃から九月初旬にかけ連日のように神札が降り、ええじゃないか、ええじゃないかと叫びながら家の中まで舞い込んで来られ、飲食の接待や多額の寄付金に悩まされたと言う。
この大騒ぎは長期で広範囲に渡り、幕府側の警備もお手上げであったと考えられている。
幕末における神道信仰は大衆を自主的に結合させる力を持っており、幕府は神経質なほど抑圧政策を取っていた。
ええじゃないかは西日本への
波及が主に知られていますが、
江戸にまで行っていますね。
時代変革期のエネルギーが
どう発散されるにかにより
歴史への影響が変わるので、
現代でも教訓となる話は
含まれているのでしょう。
更に問題なのはかの羽田八幡宮も
ええじゃないかに関わりますが、
復古神道と関係する事でしょう。
幕末における神道信仰とは
吉田神道とは別物であり、
吉田神道は密教修行により
悟りに至る所がありますが、
教派神道となると洗脳にも
関わる問題が出て来ます。