内宮と外宮

日本の二大宗廟とされているのが、
石清水八幡宮と伊勢の神宮です。

石清水八幡宮は宇佐神宮が遠く、
京付近に勧請した神社なので、
元は北九州に縁を持っています。

志多羅神は石清水八幡宮に行きますが、
関西の伊勢と考えれば良いのでしょうか。

この二社は倭国大乱と壬申の乱の
時代を跨ぐ二つの戦争の時代と
密接に関わりを持っていますが、
双方ともこの島国を揺るがす
大規模なものであったようです。

石清水八幡宮については書いたので、
伊勢についても書こうと思います。

伊勢では外宮を先に参拝した後に
内宮に参拝するのが慣わしですが、
これは外宮側から提唱された
伊勢神道の教義から来ています。

伊勢の内宮と外宮がいつ出来たかは、
古事記に記されているところを見ると、
内宮が建立されたのが十一代・垂仁天皇、
外宮が二十一代・雄略天皇の時代とされます。

古事記と聖書やギリシャ神話と対比させると
様々な事が紐解ける事は記事にしましたが、
この周辺についても分かる事があります。

内宮は別に書くとして外宮については
雄略天皇が謎大き存在で記載量も多く、
倭王・武=ヤマトタケルではないかと
ブログに書いた事がありますね。

ヤマトタケルが先住民族の王であり、
天皇の子として日本神話に取り込まれ、
卑怯で粗暴な存在として記された事を
『平将門の深層』に書いておきました。

内宮では平安末期から真言密教の影響で
両部神道が登場しているのですが、
これは一般的に本地垂迹説と呼ばれる
仏が神の姿をとって現れたとし、
仏教の教義に導く流れにあるものです。

外宮から伊勢神道が始まり内宮との違いを強調。
外宮の御祭神・豊受大神を宇宙原初の神である
天之御中主神や国之常立神とイコールとし、
こちらから参拝するように働きかけました。

この流れにある吉田神道に関しては、
飽海神戸神明社のある吉田の地名は
吉田神道の吉田に関係している仮説を
本に記しておきました。

吉田神道の斎場所大元宮は八角形で、
鬼祭の舞台である八角儀調場と、
何らかの関係がありそうです。

伊勢神道に見られるように、
内宮と外宮では系統が違いますが、
歴史の深層を探っていくと、
その決定的な違いが明瞭となります。

2019年の終わりと2020年始めに
伊勢三宮に参拝に行ってきましたが、
外宮の度会氏を祀る神社に参拝した折、
色々と感じるところはあったものの、
個人的なものとして表に出しませんでした。

執筆する前には関係した神社に参拝して
意向を伺ってからにしているのですが、
不思議と分からなかい事があっても
必要な史料が手に入ったりすると、
O.K.サインかなと思って進めています。

まあ地域振興を目的としてはいないので、
与太話として読んで頂ければ良いものなのか、
学術的に取り扱う類いのジャンルでは
無いような気もしています。

どこまで出してどこまでファジーにするか
微妙なラインが多いのが難点なので、
その辺りを踏まえられる人にだけ
読んで頂ければ良いと思っています。

本よりブログを書く方が楽だと思っていたら、
「ええじゃないか」の研究は実質同クラスで、
もうブログ記事にするのは取り止めにして
本を執筆した方が楽なのではないかと
考えて初めているところです。

地元の図書館だけでは資料が不足しており、
国会図書館で本を読み漁りたいところですが、
本腰を入れて研究するならこれ位は必要で、
趣味ではなく普通に仕事ですね。

出版社がつかなければオンデマンドで
採算度外視で書いても良いのですが、
このまま進めるとまた苦行僧クラスの
キツイ状態が暫く続きそうなので、
病院送りにならない程度に頑張ります。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. シャイニー より:

    宇佐の神=石清水八幡宮さん
    伊勢の外宮=鬼道の卑弥呼さん
    だんだん神様の家族構成が理解できるようになってきました✨學びの場を感謝しています
    八幡太郎 新羅三郎 と言いますが八幡さんがお兄さんなんですか?
    書き込んだ場所がわからなくなって戻ることが出来ないことが多々ありまして 失礼の極みですが 未熟者よとお笑いください

  2. Katsuyoshi より:

    新羅三郎義光は源義光で、前九年の役を戦った人ですね。
    八幡太郎は石清水八幡宮で元服してつけた名前で、基本的に日本書紀は反新羅なので、その周辺に関係ないから付けた名前だと思いますよ。