倒幕派とええじゃないか

民衆が「ええじゃないか」で乱舞している最中、
薩長は裏で様々な駒を進めて王政復古をなし、
江戸幕府から明治政府へと移行します。

お札降りの及んだエリアは戊辰戦争において
江戸への侵攻に用いられたルートか、
予定に含まれていたコースであったそうで、
「ええじゃないか」を倒幕派の陰謀とする説も
部分的には十分に納得のいく話ですね。

明治維新周辺は日本史上でも評価の難しい時期で、
何の手も打たなければ植民地化されていた状況で
厳しい選択を迫られていたのは間違いありません。

坂本龍馬も最後に公武合体を言い出して
暗殺指令を受ける事になったという話も
某筋から聞いた事はあるのですが、
ええじゃないかは単独で評価できず、
総合的な見直しが必要になるでしょう。

西日本では幕末から神道系新興宗教が
時代に警鐘を鳴らしてきましたが、
下手をするとそれを越える要素を
ええじゃないかに見る事が出来ます。

明治維新移行に神仏分離などの様々な政策で
日本の精神文化もかなりの痛手を受け、
ええじゃないかも多大な損失を被っています。

明治政府は伊勢外宮信仰を天皇信仰に切りかえ、
御鍬神などの様々な流行り神が排斥ないし
社格制度の秩序に編入される事になります。

江戸まで継承されてきた外宮の伊勢神道の影響を
根こそぎ破壊しようとしたのがこの時代なら、
これを察知して対処する動きがあり、
維新以降に抹消された可能性もありますね。

この観点からすると倒幕派による陰謀説は
矛盾が生じる部分が出てきそうですが、
ええじゃないかが体よく利用されたのは
間違いのない話なのでしょう。

明治維新から様々な戦争を経て経済復興し、
バブルが弾け長期の低迷を続け現在に至る流れは、
幕末周辺の選択によるところが大きいです。

イギリス主導による植民地化や西洋化の流れは
明治以降の日本にも多大な影響を及ぼしましたが、
この流れに終わりが見えている状況下において、
もう一度歴史を見直す必要がありそうです。

邪馬台国の鬼道に根拠を置くであろう
ええじゃないかに至る流れの見直しは、
大きな要素として位置付けられるでしょう。

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