徐福と羽田八幡宮

豊橋に羽田八幡宮がありますが、
現代では巨大な敷地を誇るこの神社も、
吉田藩内の地位は低かった上に、
小さな社領でしかなかった様です。

羽田野中心にある羽田八幡宮は
湊町神明社から分かれたもので、
共に宮司は羽田野家とされます。

以前は湊神明社は羽田神明宮と呼ばれ、
三ヶ日の赤引糸で織られた神衣が
ここを経由し伊勢の神宮に送られますが、
赤引糸は徐福が持ち込んだとされます。

羽田の名は徐福に由来する秦氏から
来ている可能性は高そうですが、
徐福王朝の痕跡の抹消ゆえに
秦を羽田に変えたのでしょうか。

羽田野氏は「ええじゃないか」発祥の
牟呂八幡宮の宮司も兼ねていましたが、
時代変革の「ええじゃないか」には
徐福や鬼道の影響が想像以上に濃く、
深層の理解にはこの周辺の解明が
必須となって来るのでしょうか。

羽田野敬雄氏は羽田文庫を作りましたが、
三遠における優れた活動の内の幾つかは
徐福王朝のDNAのなせる業だったのか、
この地に時代変革を起こす要素があるなら、
時代の立役者が集う地なのかも知れません。

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