徐福と賀茂祭

メルマガ読者と京都散策に行った時、
賀茂周辺の調査もしてきました。

京都は遷都して都となったイメージですが、
それ以前の先住民に関わる発掘物も多く、
遷都以前に何もない土地ではなかった様です。

東の賀茂神社・西の松尾大社は
「東の厳神・西の猛霊」とされ、
京都の守護神とされた賀茂神社の歴史は
奈良時代まで遡るとされています。

平安中紀に祭が葵祭を指したとされる程
影響力の大きい祭事とされていた様ですが、
賀茂祭(葵祭)はしばし危険な集会とされ
禁制の対象となっていたそうです。

賀茂は古事記・日本書紀に登場しない
謎多き存在でヤタガラスにも関係します。

銅鐸の本に書いておいたのですが、
銅鐸が三輪や加茂の地名から
数多く出土している事を考えると、
徐福の時代から始まった銅鐸文化は、
加茂の祭祀と密接に関係しそうです。

加茂の名がB.C.200年頃に根拠を持つなら
想像されているより遥かに古いものですが、
壬申の乱で天皇武天皇に加担した役小角も
父が高加茂朝臣で加茂役君と呼ばれるように、
加茂氏と修験には密接な関係があります。

安倍晴明は加茂氏から陰陽道を学んでおり
加茂が古代祭祀と関係する事が見えますが、
これが徐福に由来するとすれば、
危険視された古の葵祭は徐福由来の祭で、
大乗仏教に敵視されたアショーカ王の仏教に
根拠を持つものだったのでしょうか。

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