伊雑宮と出雲

伊勢皇大神宮(内宮)の別宮のひとつ、
奥宮であり志摩一宮の伊雑宮こそが
御鍬社の源流にあたっています。

伊雑宮の神田の耕作に由来する
鍬を御神体として祭る御鍬信仰は、
江戸時代に隆盛しています。

創建の由来はやはり神道五部書の一つ
『倭姫命世記』に書き残されており、
度会氏がこれを世に出した何らかの意味が
推察出来るかも知れません。

伊雑宮創建の由来も倭姫命に関わっており、
天照大神の朝夕の御贄(供物)所を探していた時、
土地の神である伊佐波登美命が倭姫一行を迎え
嶋(志摩)国伊雑の方上に神宮を造ったとされ、
元伊勢を転々としていた時期と重ねています。

ここでは伊佐波登美は神とされており、
登美は長髄彦にも用いられるので、
先住民族の神である事を伝えていますね。

伊勢の地名も出雲神・伊勢津彦に由来し、
何かと伊勢には出雲の痕跡が見受けられます。

伊勢国を開いた神・天日別命の子の
玉柱屋姫命と共に祀られる事が多く、
玉柱屋姫命は瀬織津姫ともされています。

瀬織津姫は奥三河の槻神社の御祭神で、
想像以上に出雲が深くまで関係します。

なぜこの宮には先住民族の神の痕跡が
数多く残されているのでしょうか。

伊雑宮には2019年末に参拝に行き、
色々と調査をしてきましたが、
どこまで書いて良いか分からない
扱いに困るものもありますね。

まあ無料ブログで書いている事なので、
公知した方が良い情報以外は
期待しない方が良いと思います。

情報は情に報いると書きますが、
特に有益な情報は何の対価もなしに
得ようとすると痛い目にあう事が多く、
有料でも詐欺は多いですが、
実社会での見識が必要ですね。

私は一介の歴史研究家なので、
聖地参拝に行きたくなるのは
神に呼ばれている等と言った事は
良く分からないので言いませんが、
興味本位で知る情報ではないと思います。

奥三河で外宮に関係している家系の人と
外宮参拝にまわった事がありますが、
ルーツに関わる神社に行った時には、
非常に感じるものがあったようです。

原点を踏まえてこの時代に何をするか
真剣に考えたい人が活躍する事が
執筆の目的の一つでもあるので、
パワースポットや都市伝説的ではなく、
時代的な使命感のある人こそ、
重要な場所に行って欲しいところです。

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