古代ギリシャでは詩人はミューズの霊感を受け
神がかった存在として扱われていましたが、
『リグ・ヴェーダ』にも詩人が登場しています。
そのとき無もなく、有もなし。
空界もなく、その上の天もなし。
何ものか発動す。いずこに、誰の庇護の下に。
深くして測るべからざる水は存在せりや。
その時、死もなく、不死もなく、夜と昼と標識もなし。
かの唯一物は、自力により風なく呼吸せり。
これよりほかに何ものも存在せざりき。
太初において、暗黒は暗黒に蔽われたり。
この一切は標識なき水波なり。
空虚に蔽われ発現しつつあるもの、
かの唯一物は、熱の力により出生せり。
皆初に意欲はかの唯一物に現ぜり。
こは意の第一の種子なり。
詩人らは熟慮して心に求め、
有の親縁(起原)を無に発見せり。
古代インドでは詩人を霊感ある聖仙とし、
無から有が生まれた事を見いだすなど、
ギリシャに近い位置付けであった様ですね。
宇宙の真理を歌う詩人の姿は、
ミューズを連想させるに十分です。
アレクサンドリア大図書館ですら
ミューズの神殿の附属機関だったように、
個人の芸を磨くのに終始する事なく、
国家運営や総合的な教育に関わる神の姿は、
現代日本の想像の範疇を越えていそうです。
古の日本でも和歌がよまれ、
万葉集に膨大な作品が残されています。
神話にも通じた歌人・柿本人麻呂も、
太古の詩人のような存在だったのでしょうか。
私は徐福が日本列島にミューズやインド宗教を
持ち込んでいたとする仮説を立てているのは、
本や過去記事を読んだ方ならご存知でしょうが、
この説の裏付けとなる情報は更にストックが
増えていっている最中です。
人麻呂は歌だけに優れた存在だったのではなく、
神懸かりを行う霊能者であったのかも知れません。
古代ヤマトにもミューズが存在したとすれば、
この国のイメージは大きく変わるでしょう。
その文化水準を探りたいのであれば、
プラトンの著作などにあるミューズの記述から、
かなりの部分が復元可能となるのでしょう。