バチカンと裏天皇

バチカンには百万冊の本が存在し、
完全非公開の十万冊の一部には
孝明天皇が裏天皇になって、
明治天皇が表天皇になった事が
記されていた話がある様です。

バチカンの話は織田信長の本に
がっつりと書く予定があると
言いたいのは山々なのですが、
ここまで行ける気がしない
今日この頃ではあります。

バチカンの話をする前の段階で、
東日本ローマの景教の話などを
詳細に書かないといけませんが、
菅原道真の本でこれをした時、
余りに大変で挫折しかけました。

この段階ですらこれだけ書く内容が
存在している事が分かって頂けると、
簡単に説明するのが難しい事にも
理解が及ぶのではないでしょうか。

本来のローマはヘレニズム国家で、
東ローマから侵略を受けた事により
西ローマが変質したのであれば、
キリストやバチカンに関しても、
大幅な見直しが要求されます。

東ローマはペルシャ勢力であり、
平家もペルシャであったのなら、
両者に関係が存在した可能性は、
非常に高い事になって来ます。

私がなぜ江戸の神道についての
研究しているかの理由の一つが、
孝明天皇の周辺の情報についての
疑問が生じて来た事でもあります。

実地調査では孝明天皇サイドと
明治天皇サイドの仲が良かったと
思えない痕跡が存在していました。

平家がペルシャ王権であったなら、
国内で日本史を書き替えように
バチカンでも日本史を捏造しても
動もおかしくない話になりますね。

日ユ同祖論に限って言うのであれば、
皇室の神と聖書の神を結び付ける
ユダヤ人の仕事があると言う話を
ユダヤ人ハーフの巫女さんから聞き、
危険なので情報発信をしています。

ただバチカンに関して言うと、
複雑な経緯が存在しているので
一筋縄ではいかない可能性が、
非常に高いとは思っています。

そうなると一冊分は研究をしないと
書けない話になって来てしまうので、
ここをカットして研究を展開すると、
展開は若干弱めにはなって来ます。

それでも十分に価値はあるのですが、
どこまで書けば良いかの線引きが
難しい話題が余りにも多いですね。

明治維新でも天皇に絡んだ勢力が
クーデターまで起こしていますが、
薩長による支配で良くなったかは
どうお考えになるのでしょうか。

最近また天皇についての話題が
ネットに流れる事がありますが、
歴史から学ぶとするのであれば、
どうするのが正解でしょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする